NPO田中絹代メモリアル協会

NPO法人 田中絹代メモリアル協会とは

下関市丸山町に生まれ、関門海峡の流れの中で育った田中絹代は、終生海の景色を忘れませんでした。2歳で父を亡くし困窮の中、大阪天王寺へ移り住み、14歳で松竹京都下賀茂撮影所からデビューし、“女優の神様”といわれるほど日本映画史で偉業を残しました。そのトップ女優が6作品もの監督作を残したことは、国内、海外でも高く評価されています。田中絹代は、何より”家道楽“であり、住みたいと願ったのは、いつも海が見える故郷の景色でした。
田中絹代没後10年から下関市を中心に始まった顕彰活動は、親族から遺品を寄贈された1999年に「田中絹代メモリアル実行委員会」を作り、『田中絹代の世界』展、『メモリアル映画祭』を開催しました。末永い顕彰につなげるため、2000年には「田中絹代メモリアル協会」を発足させ、例年多彩な事業を展開しています。2008年、特定非営利活動法人(NPO法人)の認証を受けました。
2月 毎日映画コンクール協賛、表彰式に出席 
3月21日 命日市民墓参会”花嵐忌“ 
秋 しものせき映画祭
ほか、市内外での「田中絹代展」(2004年にはドイツやアメリカで田中絹代上映特集に併せ展覧会を開催。2007年には銀座資生堂本社ギャラリーで、遺品やパネルの展示を行いました。)や映画上映会を開催しています。
2010年2月に念願の「田中絹代記念館」が、下関市田中町「田中絹代ぶんか館」2階に開館し、協会の意義も一層深くなりました。記念館をバックアップし、次世代へとつなげる田中絹代顕彰となるため、これまで以上の活動が必要です。
特定非営利活動法人田中絹代メモリアル協会は、いつでも、どなたでも全国から会員を募っています。趣旨にご賛同いただき、ぜひご入会下さい!

【活動内容】
  • 田中絹代展開催
  • しものせき映画祭開催(年1回)
  • 田中絹代市民墓参「花嵐忌」開催
  • 毎日映画コンクール 出席、協賛
  • きぬよ通信発行
  • 新聞、雑誌ほか各種メディアへの記事・写真協力
  • 下関フィルムコミッション協力